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ニトログリセリン発明最初の利用―珪藻土ダイナマイト
ニトログリセリン発明最初の利用―珪藻土ダイナマイト
技術上に使用するためのニトログリセリン製造を目的とする最初の實験室は前にも述べた通り一八六三年の秋の頃ノーベル父子によつてストックホルム近くのヘレーネボルグにあつたイムマニュエル・ノーベルの家の納屋の中に慥へられた。此處で一八六四年九月三日に爆發が起つて五人の人が死んだが、その中にアルフレッド・ノーベルの弟で特別に才能に恵まれてゐたエミールもゐた。この災厄が未曾有のセンセーションを起したことは勿論であつて、それまでは一般の人もこの新しい物質を比較的危險のないものと思つてゐたがこのために非常な恐怖を抱くやうになつた。
父ノーベルはニトログリセリンの製造が全然危險だと思つてはゐたかつたことは明かで、當局に對してこの製造をしてゐることを報告する必要もないと思つてゐたのであるが、どの程度に危險がないと思つてゐたかといふことは、爆發が起つた後に警察でした陳述を見てもわかる。彼はこんなことを陳べてゐる。
「ニトログリセリンを作つてゐた所に居合はせた者は一人も生き残つてゐないから、この爆發の原因について完全な説明をすることは勿論出来ない。この災厄の前に、死亡した私の息子がいつてゐた二三の事から私が推測出来る唯一のことは、この爆發が私の子供がしてゐた製造法の簡便化の試みから起つたのだらうといふことである。
ニトログリセリンは直接火を点けても無害であり、またどんなに火の取扱に不注意であつても爆發を起こすことは殆んなく、その上實験室に火があつた筈もないから、唯一の残る説明は、子供のしてゐた實験の際に何か劇しい化学反応が起り混合液の温度をを摂氏一八〇度位の高さに高めたのであらうといふことである。この温度になると出来上がつたニトログリセリンは爆發するのである。
新しい實験の際に温度を測り余り温度が高くならぬやうにするために寒暖計を用ゐることをしないのがこの災厄の實際の原因である。
かやうなことは普通に製剤する場合には起り様がない。普通の製剤には二つの方法がある。
(一)高温法―これによれば温度は約攝氏六十度に高めそれ以上には決してしない。この方法は何百回となく用ゐられて聊かの危險もなかつた。
(二)低温法―冷却せる混合液を用ゐ、この場合零度以上に上ることがない故に危險の起ることはない。
私がこの製剤を市外でしなかつた理由は、普通の場合に於いては何等危險を予想することが出来なかつたからであり、殊に次のやうな根拠からである。
一、ニトログリセリンは点火しても爆發することなく、油の如くに燃焼するが自然に消えるから危險はない。
二、私は硝子の容器に多量のニトログリセリンを入れて熱してみてその結果を試験してみたことがある。そしてその際少量の一部分が爆發し残りは飛散するのを見た。
三、ニトログリセリンは堅牢な容器に入れて直接摂氏一八○度まで加熱しなかつたならば、全量を爆發させることは極めて困難である。これは爆發が完全に行はれない内に点火が失敗した多くの爆破が証明する通りである。
爆發當時製造が出来てゐて、當日送り出される筈になつてゐたニトログリセリンの量は約三OO封度であつた。(五○封度はオンメベルク Ammeberg 向け、二〇〇封度は北部幹線鉄道向け)しかし爆發の力を見れば、この全量の内少量だけが爆發し残りは燃えずに飛散したことがわかる。
ニトログリセリン製造を届出なかつた理由は、製造が最近まで極めて小規模であり、その目的も商業的よりもむしろ製造法の完成のためであつたからで、この事は新聞紙に一の廣告を出さなかつたからでも解ることである。
誤解を避けるために附言したいのは、爆發の當時私の子供が従事してゐたと私が推定するグリセリンの浄化は、ニトログリセリンの製造とは全く少しの間係もないことであり、このやうな浄化はグリセリンを製造する工湯でもすることが出来、ニトログリセリン製造の場合に起る今度のやうな災害と同様に滅多に不幸な事件が起ることがない、といふことである。
ヘレーネボルグ 一八六四年九月五日」
前にも述べた通りこの不幸な事件はイムマニュエルの精神力も健康も共に打ち砕いてしまつたのであるが、それにも拘らず彼はニトログリセリン、及びその製造がそんなに危険なものでないといふ楽観的な考へ方をしてゐた。しかし當局も一般の人もさうは考へなかつた。
これは全く當然の事といへるであらう。
そこで市内で製造することは禁止にされた。そして近所で工場を建てるのに適當な場所を求めることは非常に困難だといふことがわかつた。ところが、後にも述べるやうに、もう既にニトログリセリンは實際に使用されてゐた。中にもストックホルムに連絡してゐた国有鉄道は卜ンネルの掘塹のためにこれが必要であつた。そこで何とかして仮の設備として製造をしなければならなかつた。これがアルフレッド・ノーベルと彼が父やそのほかの人と一緒に建ててゐたニトログリセリン株式會牡とに課せられた次の課題であつた。そこでストックホルムから二三哩離れたメーラル湖 Malarsee の一部の狭まつた部分に平底船を錨でとめてその上で製造することにして間題は解決された。一八六四年の秋から翌年の初めまでニトログリセリンはこの船の上で製造された。その内にストックホルムの近郊のヴィンテルヴィック Vintervik に新しい工場の敷地を買収し、此処に世界最初の本當のニトログリセリンエ湯を建設し、一八六五年三月から製造は此処で行はれるやうになつた。
現在の火薬工業でもさうであるが、アルフレッド・ノーベルはニトログリセリンの製造に當つてはソブレロが用ゐたと同じ方法を原則的には利用したのである。つまり硝酸と硫酸との冷却した混合液を以つてグリセリンを處理する方法である。これを實際的に大規模に行ふに當り最初は極めて簡単な機械を用ゐた。
硝酸の處理は前に述べたイムマニュエル・ノーベルの説明にもある通り所謂高温法か低温法かによつて行はれるのであるが、前者によると予め硝酸と硫酸の混合液を冷却しておいて、これをグリセリンと一緒に硝子製の漏斗の中に流しこむ。するとその中で強い熱を生じて化學反應が起こる。そこから直ちにこれを水の中に入れると、發生したニトログリセリンは水の底に分離するのである。しかしこの方法によつて得られる分量は普通非常に少量である。
低温法によるともつと良い結果を得られる。この方法だとグリセリンを少量の硝酸硫酸の混合液に徐々に加へて行くのであつて、混合液は予め冷却しておくばかりでなく、グリセリンを加へる間々にも氷で冷却するのである。しかしこの方法は最初は相當やりにくかつたのは明かである。
最初のニトログリセリン工場の単純さをよく現はしてゐるのは一八六五年八月三十日附でロベルト・ノーベルがヘルシングフォールスからヴエンネルシュトレーム大尉(當時ストッ
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