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アルフレッド・ノーベルの青年時代
アルフレッド・ノーベルの青年時代
ノーベルの一族は自分達の祖先のことについては興味がなかつたらしくイムマニュエル・ノーベルの如きは彼の祖父はイギリスの宣教師であつたと考へてゐたらしい。しかしルドヴィッヒ・ノーベルは組先のことを調べようとして、弟のアルフレッドに祖先の傅記とか、一族の歴史について何か報告をして呉れるやうに頼んだ。その頼みに對してアルフレッドの書いた返事の手紙が次のやうなものであつた。
「僕は今さし追つてしなければならぬ仕事や契約の取極も時間がなくて何週間も、時には何箇月も手をつけすにおかねばならぬ有様です。かういふ状態の僕に傅記を書けといつても無理です。もつとも人相書見たやうなものでよければ別ですが。そして僕の考へではさういふのが一番わかりがよいと思ひます。例へばですね、アルフレッド・ノーベル―憐れな出釆損ひおぎやあと生れて来た時た時に親切な醫者に殺して貰つた方がよかつた。最大の長所、常に爪を綺麗にしてゐて他人の厄介にならぬこと。最大の短所、家族のないこと、気嫌の悪いこと、胃弱であること。唯一最大の希望、生きながら埋葬されることのないこと。最大の罪、マンモンの神に祈らぬことらぬこと。一生の重大たる事件、無し。
これで十分ではないでせうか、十分以上ではないでせうか。それに我々の時代に『重大な事件』といふ項目に入れられるものがあるでせうか。銀河宇宙といふ我々の小さな宇宙に動いている百億の太陽も、全宇宙の大きさを知るときは自分達の無意味さと小ささを恥ぢるでせう。
誰に一傳傳記を読む暇があるでせう。またそれに興味を持つほど無邪気で愛想のいゝ人があるでせうか。僕は真面目にそれを聞いてみたいのです」
ルドヴィッヒはそれでも尚アルフレッドに督促しつゞけたものらしい。するとアルフレッドはまた断つた。
「何故あなたは傳記の論文のことに気をつかふのです。誰だつて俳優か殺人犯人以外のことを書いたつて読む人なんかありはしませんよ。殺人犯人のことが一番読まれるでせうね。人を呆気にとらせるやうなやり方で彼等が犯行をしたのは戦場であつた かそれとも自分の國でやつたのか、とね。家の者は僕達の父親のことはたぶんみんな知つてゐることでせう。世間にその傳記が出るか出ないかなんて大した興味はないでせうよ」
これはたしかに彼の正直な考へであつたらしい。一八九三年ウプサラの記念祝典の時、彼は名誉哲学學博士になつた。そして自叙傳を提出しなければならぬことになつたが、それは出来るだけ簡単なものであつた。
「下記の者は一八三三年十月二十一日出生。自宅で教育を受け初等教育以上の學校教育を受けたることなし。特に應用化學の方面に活動し、ダイナマイト、爆發性護?、及だバリスティット Ballistit 並にC八九と称される無煙の火薬の名で知られてゐる爆發薬を完成す。一八八四年以来瑞典王立科學院 Koviglich Schwedischen Akademie der Wissenschaft の会員となり、更に倫敦ローヤル・インスティテューション Royal Institution 巴里ソシエテ・デ・インヂェニウール・シウィル Societe des Ingenieurs Civils の會員となる。一八八〇年、極星章勲士 Ritter des Nordstjarneordenes オフィシエ・レジョン・ドノール Officier Legion d’ Honour となる。出版物、英文にて書けるもの一篇のみ。この論文は銀牌を得たり」
これを見てもアルフレッド・ノーベルが一般に傅記といふものについては極めて興味がなかつかことがわかる。殊に自分の傳記については最も關心を持たなかつた。しかし。世間の人の評判について彼の持つてゐた考へ方はむしろ冗談と見なければならない。すべて人間の偉大さといふものは結局些細であり無意味であること、またわが地球も測り難い宇宙から見れば塵粒にすぎないこと、これは確に事實である。しかしこゝでわれわれはパスカルの言葉を思ひ出す。「人間は脆い一本の葦に過ぎない。しかし考へる葦である。これを折るのに宇宙は全力を挙げて武装する必要はない。一陣の風、一滴の水でもこれを枯らすに足りる。しかし宇宙はこれを壓し潰しても、人間は彼を殺す宇宙よりも偉大である。何となれば人間は自ら死すことを知り、宇宙が自分よりも優つてゐることを知り、宇宙はそれについて何等知るところがないからである」
豊富なる人間生活は偉大なるものである。人間を測るのと同じ量的標準を以つてすることは出来ない。アルフレッド・ノーベルの生涯のやうな生涯は人が知るだけの價値のあるものである。彼はその才能からいつても人格からいつても心情からいつても優れた人であるからである。しかし彼は自分については多くを語らない性質の人であつたから傅記は斷片的のものとなるよりほかはなく、また彼の生涯の大部分の時期がいつも白紙のまゝ残るやうなことになるよりほかはない。
彼は一八三三年十月二十一日ストックホルムで生れた。そして彼が始めてこの世の光を見た所は貧しい家であつた。
*當時彼の両親はノルランズガータン Norrlandsgatan 九番地の家に住んでゐた。しかもこの家の裏側の方の部屋であつたらしい。
彼の誕生の少し前に彼の父は破産の宣言をしたが、此宣言は彼が生れてから一年後になつて効果を生じた。アルフレッドが四歳の時に、父は自分の運命を開拓するためにフィンランドに渡つた。しかし将来の見込が甚だ不確実であつたので家族の者はストックホルムに止まつてゐなければならなかつた。アルフレッドは此處で二人の兄と一緒に成長した。ロベルトは一八三七年の春ヤコブ豫備學校 Jakobs Apologistschule に入學し、ルドヴィヴヒは一八
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